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昭和二十八年〜三十一年
 変態本の誕生

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  あまりもあまりなエロ本の氾濫に業を煮やした当局はついに大々的な規制を開始したのだった(第二次取締り)。
 
昭和27年の秋、東京都内の二十数社のエロ出版業者を集めた当局は次のような要請を行った。

「今後は、性交を連想させるような描写、性器に関する文章、絵画は、一切取り締まるから、これに協力してほしい」

 同じことが、当局から雑誌販売取次店にも行われた。

 
エロ本屋が「性交」と「性器」のことを書けない(描けない)のである!もうダメだ・・・。
 これを機会にエロ本出版を廃業してまっとうな出版道を歩もう、と誰もが思った。
 こうして迎えた昭和28年の春は、エロ本が存在しない、
まことに健全な日本が出現したのであった。

 しかし・・・。エロの火を消してはいけない、という使命感からか、それとも
まっとうな出版ができなかったためか、「性交」と「性器」が登場しないエロ本が登場したのである。
 「性器」と「性交」がダメなら、どのようなエロ本が可能なのであろうか?昭和28年にエロ本編集者が考えた手は三つあった。つまり・・。
(1)文学的なエロ本にする。有名作家にエロ小説を書いてもらい、直接描写を避け、かつエロティシズムはたっぷり、とする。(「笑の泉」や「風流読本」)
(2)エロ風俗や事件のルポものを出す。新聞やミニコミ誌である。
(3)セックスをしないエロ、つまり変態の世界へ進む!(火に囲まれたときに、一番火の勢いが強いところへ逃げると案外助かることもある)

 こうして大阪のカストリ雑誌の一つであった
「奇譚クラブ」が美濃村晃(喜多玲子)の尽力によって「変態」雑誌となり(この動きは昭和27年頃からあった)、昭和28年春に上京した美濃村氏の協力で東京版「奇談クラブ」ともいうべき「風俗草紙」が誕生した。この好評を見て秋には「風俗科学」が登場する。ついに日本にSM雑誌が生まれた!


 ・・・しかし、世の中はそう甘くはない。いい気になっていた「奇談クラブ」、「風俗草子」、「風俗科学」は
昭和30年4月の第三次取締りにより壊滅的打撃を受けるのであった。がんばれ、変態雑誌!

昭和二十八年 『風俗草子』 「奇譚クラブ」のライバル誌、東京に登場!
『千一夜』
『風俗科学』 科学に名を借りた変態本!
昭和二十九年 『奇譚クラブ』 変態雑誌となった時代(発禁半年前!)
『千一夜』
『別冊・夜の新聞』 名古屋ローカル・エロ雑誌
昭和三十年 『内外旬報』 カストリ雑誌の黄昏。エロはだめ
昭和三十一年 工事中 工事中


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